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看護助手 最後に

09月30日 疲れたな。  本当に。  今日で最後だった。 最後の業務が終わった後、お世話になった看護師さんや病院職員の人に挨拶回りに行った。 病院の帰り道、いつものコースを通って帰った。 夕日がとてもきれいだった。 もうこの場所で夕日を見ることもないだろうなと思ったら、少し寂しい気持ちになった。 仲が良かった人は最後まで仲が良かったけれど、仲が悪かった人は最後まで仲が悪かった。 残念だ。 まぁ仕方ない。 明日から転職先の鍼灸整骨院で働くことになる。 わずかな時間だがしっかり休んで明日に備えよう。 とにかく疲れた。 これが看護助手をやっていた頃の最後の日記になります。 辞めるとはいえ最後の最後まで仕事は全力投球。仕事に対して絶対に手を抜くことはなかった。 以前の記事にも書いたけど、僕が勤務している病棟に、入院している患者さんはもしかしたら明日、亡くなってもおかしくない患者さん達だった。 だから最後に対応した僕が手抜きの僕だったら申し訳ないから。 言われたこと、頼まれたことは率先してテキパキ頑張った。 本心は早く辞めたかったけれどね。。 これで、僕が看護助手として体験したことは全部、書きました。 なので、このブログはこの記事を最後に更新されることは、もうないでしょう。 このサイトに訪れたあなたは、何かしら看護助手と言う仕事に興味があるんだと思う。 看護助手に興味がある人に僕の体験談は役に立っただろうか? 鍼灸師の国家資格を取得して、最初の職場が看護助手で、しかも3か月程度で辞めた人間の体験談なんて特殊すぎて参考にならなかったかもしれない。 チーム医療の一員を夢見て、鍼灸師として病院で働きたいと思った。 東洋医学の知識と治療技術で患者さんを治療したかった。 しかしそんな職場は無かった。 だったら看護助手として病院に入り、明るく真面目に仕事をこなせばいずれは、そういった仕事に声がかかるかもしれない。 元国会議員の杉村 太蔵氏みたいに。 彼はバイトの掃除夫からスタートした。 仕事場は証券会社の入ったビル。 彼は一生懸命、真面目に誠実に仕事をした。 その真面目な働きぶりとコミュニケーション能力を証券会社の外国人ディーラーに気に入られそのまま、そこの外資系証券会社に入社。 バリバリの証券マンに出世していく。 僕もそう風に鍼灸師として病院のチーム医療の輪に入りた...

看護助手 転職前の日記

 09月25日 一番つらい。 休みがないから 土日やすみだったけど土日から転職先で働き出すから今週は休みが一日もないんだよね。  自分らしく働きたいよ。  転職先で働きながら自分で開業できる方法を探し続けよう。  あと5日。  もうばっくれようかな。あと5日でも行きたくないとこには一日だって行きたくない。  今の職場はつらい。 いきたくない。  精神的にほんとうに不安定になる。 いろいろ。。逃げたい。 でもいくんだけどね。くそ真面目な俺だから。  追記 本心は、今すぐにでも辞めたかったし退職したかったんだと思う。。 だけど最後の最後まで誠実に真面目に業務をこなしました。 なぜなら入院している患者さんは明日には亡くなってしまうかもしれない。 最後に対応した僕が手抜きの僕なら申し訳ないから。 退職の瞬間まで全力投球。 手を抜くことは一切なかった。 あの時、僕が出会った患者さん達は、もう誰も生きてないだろう。 時々、ふとあの患者さんたちを思い出すことがある。 ちょっと寂しいような、何とも言えない気持ちになるよ。

看護助手は病棟の歯車

  看護助手を、辞めると決めたら、一秒でもこの職場に居たくなかった。 この日記は看護助手を退職する五日前の日記だ。 日記を読み返していると、とにかく早く辞めたかったんだなと思う。 自分の将来を考えて自分に得にならないと判断したから辞めたかったんだと思う。 仕事をすることで得るものがないと、その仕事を続ける意味がないと僕は考えている。 例えば、何も得ることのない単調な仕事を5年続ける。 その仕事をすることで勉強になったり、技術が磨かれたりする仕事を5年する。 同じ5年間で得る経験値はもちろん後者の方がたくさんあるし、その後の人生設計に大きく関わってくる。 看護助手は病院内の小さな歯車みたいなものだ。 無くてはならないもの。 でもその歯車は、正直、誰でもいいんだ。 壊れたら簡単に換えられる。 僕はそんな歯車で居続けることに我慢が出来なかった。

看護助手 ターミナル 終末ケア病棟の仕事について

09月21日 先週の週末、知ってる患者さんが死んだ 病院の外に車椅子でよく散歩しにいった患者さんだ。  病院の周りは公園になってて緑いっぱいの遊歩道がある。  そこだけ緑の木々が日差しをさえぎってくれてさわやかで涼しいんだ。  その患者さんを乗せた車椅子を押しながら美しい木々の間にある遊歩道を一緒に散歩したんだ。 俺のこと気に入ってくれて散歩のときよく指名してくれたんだ。  その患者さんは食道がんだった。入院して三週間で亡くなった。  よく話したんだ。喉が腫瘍でつぶれてほとんど声はでないが、僕たちはよくしゃべったんだ。 あの人はよくしゃべった。つぶれた喉で。  亡くなった患者さんを思うとあの美しい景色がよみがえる。  でももうその人はいない。  僕の記憶の中で生きつづけている。   その人の家族の記憶の中で生き続けている。  でも俺や家族が死んだらもう誰もあの人のことはわからなくなる。  人が死んで、その人を知る家族、友人が死んだらその人のことを知るものは誰もいなくなる。 その人が生きて存在してたことが証明できなくなる。  寂しい気持ちだ。とても。知ってる患者さんが亡くなると。  いつか慣れるのだろうか。  この患者さんは今でも鮮明に覚えている。 90歳の高齢男性。食道癌の摘出手術を受け、癌に侵された範囲が広かったため声帯も切除し、喋ることができない患者さんだった。 喋れないが目やしぐさで会話を図ろうとしてくれた人だった。 なんとなく僕とこの人はウマが合うというか、仲が良くなった。 車いすで病院内や敷地内の公園を車いすで散歩するのだが良く指名してくれた。 美しい緑の木がたくさんあった公園が病院の施設内にあった。 長期入院している患者さんのために造った公園なのだと思う。 公園内の緑地は大きな木がたくさん植えてありその間を通る遊歩道が整備されていた。 九月とはいえまだ残暑が残る日々だったが木々の間にある木洩れ日のあふれる遊歩道は通るだけで非常に気分が良かった。 僕はその患者さんとよくその道を一緒に散歩した。 亡くなる前日も。 少しずつ少しずつ衰弱していくのが本人にも僕にもわかっていた。 これが最後の散歩になるかもしれない。 この患者さ...

鍼灸放浪記 臨床積める職場をさがして彷徨っていた

 09月19日 何とか自作ホームページをネット上にアップロードできた。  僕の初めてのホームページ。  知識ゼロ、経験なし。アップするのにすんごい時間と体力つかったよ。  でもアップしただけだし更新して俺のサイトを充実させたい。  まだ開店準備中だが日記やコンテンツを更新して俺という人間を知ってもらいたい。  その中でお客さんが出てきてくれたらうれしいな。  鍼灸ボランティアがやりたい。  病院に鍼灸師として雇ってもらえない。 また鍼灸師として臨床を詰める。 そういった職場がない。 あるのは整体か整骨院だけ。 とてもじゃないが鍼灸師として臨床は積めない。 知識も積めない。 やりたくないマッサージ業がメインだ。 なら探し続けるしかないな。 僕は諦めが悪いのだ。  金なんて要らない。 鍼灸させてもらえる病院を探すためにもホームページが必要なんだ。  明日も仕事は憂鬱だが、あと8日。  がんばれ自分! この頃の自分はなんとか鍼灸師として臨床経験を積みレベルアップしたかったんだと思う。 学校を卒業する前は就職でこんなに苦労するとは夢にも思わなかった。 鍼灸師として臨床を詰める職場が無い。 あるといったら整体か整骨院でのマッサージ要員だ。 ならば自分で何とかしようと思い出張専門で鍼灸治療をしたらどうだろうかと思った? 仕事は週末が休みだったので、地域密着の出張専門鍼灸院のホームページを自作してネット上で公開したのだ。 その後、僕は看護助手を辞めた後に鍼灸整骨院に就職した。 その地域で10年以上、治療院を経営しており院長が鍼灸治療が上手だと評判だった。 そこで働けば、そこで得た経験はきっと役に立つだろうと思いそこで3年ほど働いた。 結局分かったことは、鍼灸師でご飯を食べていくのは非常に難しいという事。 鍼灸で家族が食べている収入が得られれば大成功だという事。 それでも鍼灸師をやりたいならテナント代のかからない持ち家の治療院兼自宅で、何年もコツコツ真面目に、土地に根づいて営業をしていくこと。 自分で開業して自分の責任で治療をやるしかないという事だ。 追記 数年後 自分で開業して鍼灸院をやっていました。

看護女子をやっていた頃の話 何もできない自分

  09月14日 今日、患者さんをレントゲン室に運んだ。車椅子で。    いつものことだ。ずっと咳をして辛そうだ。体は汗でびっしょり。 苦しそうに咳をしている。抗がん剤のせいか頭髪はない。   髪は女の命という。  病気も辛いが副作用で頭髪がなくなるなんてさぞ辛いだろう。  ほんとに。傍にいてつらい。 心が不安定になる。  まってるあいだずっと咳をしていた。苦しそうだ。  咳止めの身柱というツボあたりをさすってあげた。  首の付け根あたりだ。 すこしでもよくなってくよと願いながら。 そしたらさすってくれたら少し楽になってきたと患者さんが言ってくれた。  こんな人の力になりたい。そのために鍼灸の資格をとった。  でもできない。  治すことはできないが症状を緩和することはできるのではないだろうか。  別の患者さんの話。  こんな俺にいつも優しくしてくれた患者さんが看護師さんにむかって怒鳴ってるのをみた。  その看護師さんは何もわるくない。  やさしいその患者さんを変えてしまった病気を俺は心底憎んだ。  その目は優しかった頃の面影はない。この世の苦しみという苦しみをすべて背負い込み暗く澱んだ瞳に変わってしまった。 その瞳の色は怒りに染まっていた。  今になって涙がでてくる。  これはなんの涙だ? 自分でもわからない。  すこしだけ知り合った人でお世話させてもらった人が亡くなって行く。 それだけのことなんだ。  職場の看護師さんも家に帰って泣いてるのだろうか?  追記 当時の僕はターミナル病棟に勤務していた。 この日記に書かれている2人の患者さんは二人とも亡くなっている。 一人は僕が看護助手の仕事を退職する2日前に亡くなった。 もう一人は退職当日の朝だ。 あの当時、僕がお世話をさせてもらった患者さんはもう誰も生きていないだろう。 生きていて死ぬという事に対しピンとこなかった。 だが毎日のように患者さんの死に対面すると 自分もいつかは死ぬのだ。 必ず死ぬのだ。 死は別世界の話じゃない。 すべて地続きで僕に繋がっているんだという事を実感したんだ。 いやでも実感させられた。

看護助手の仕事をしてた頃の話 ターミナル病棟では人の死が日常の一部

  看護助手の仕事をしていた頃の話 僕はターミナル病棟に勤務していた ターミナル医療とは余命わずかになってしまった人へ行うケアのことです。 癌で余命いくばくかの患者さん達が入院していた。 仕事の合間におしゃべりして仲良くなった患者さんたちがいる。 癌になって心細いのだ。 医師の先生や看護師さんは業務でせわしなく動いている。 そんななか、看護助手さんには患者さんからみて、話しかけやすい人間なのかもしれない 僕も午後三時以降は、ほとんどやることがなかったから、患者さんを介助して病院の廊下をお散歩とかよくやった。 気を許してくれていろいろ喋って仲良くなった患者さんもいる。 今は、その時生きていた患者さんは、もう誰も生きていない。 09月13日 退職日まであと11日。  また知ってる患者さんが死んだ。  なのにみんな平気なんだ。少しずつだが俺もなれてきた。  こうして俺も平気になってくるのだろうか。  早く鍼灸の仕事がしたいよ。  俺と同じ年齢の看護師は奥さんと子供、車に家まで持っている。  休みと給料、ボーナス、社会保険が保証されている。  鍼灸は週6で保険なしで安月給で有給なし。おまけに拘束時間は超長い。  しかも柔整の補助みたいなマッサージがメインだし。  自分らしく働きたい。  フツーの条件で働きたいよ。  愚痴が出てしまう。  普段人前では絶対話さないから。  絶対にこんな状況から俺は脱出するんだ。  このころは早く鍼灸師の仕事がしたいと思っていた。 しかし今思えば、就職口で純粋な鍼灸師の仕事をできるところなどないと言い切っても過言ではないのだ。 つまりほぼ無い。 あったとしてもそこには申し込みが殺到する。少ないパイを取り合う形になるので必然的に能力の高い者から、そういった状況をいち早く認識して早く動き出したものから採用される。 純粋に鍼灸をやっているところはあっても募集が出ていない。 そういったところは院長の治療を目当てに患者も来ているから人を雇っても結局自分でやらなければならないので意味がないのだ。 だから結局は開業してそういう仕事の場をゼロから自分で作るしかないのだ。 そんな中、男性看護師の飲み会に誘われたんだ。...

看護助手をやっていた頃の話 低収入だと毎日が精神的に不安定になる。

  09月12日の日記 あと12日で退職だ。  つらいがあと少し。先週の日曜に卒業した母校のセミナーに行ってきた。   鍼灸、柔整の卒業生のセミナーなんだけれども。  なんか微妙だったな。 やっぱちゃんと金払うセミナーじゃないと意味ないなと思った。  今回発表した人は、柔整卒業した後、整形外科のクリニックに就職。 臨床経験もつめて、待遇も良い。 毎日が充実しているみたいだ。 片や自分は国家資格を持っているのに全然関係ない仕事をしている。 正直うらやましかった。 ただ鍼灸、柔整でいい職場についてる人は恵まれてるとおもった。  鍼灸師なのに鍼灸できないとか、柔整師なのにスイッチマンみたいな仕事しかないとかね。 むしろそんな職場のほうがいっぱいある。 整骨院は、実質、保険の使える安いマッサージ屋さんだから。 本来の柔道整復師の仕事は、もうほとんど無いのだろうと思う。 僕も鍼灸師だけど全然鍼灸できてないし。 きちんと鍼灸の臨床つめる職場を求めてこんなに職を変える羽目になるなんて学校にいるときは想像すらしなかったよ。  愚痴になった。やっぱイラついてるんだな。 転職先に期待しよう。また柔整マッサージ中心になるけれど院長が鍼灸治療がうまいと評判だ。その人から学ぼう。  話は変わるが、職場の患者さんの話。 抗がん剤を使ってるからだろうか、辛くていつもうなってる。かと思えばげぇげぇ吐いてる。  そばで見ていてこちらも辛くなってくる。  俺はこんな患者さんの力になりたくて鍼灸師になったんだ。  なのに何もできない。。  治すことはできなくても症状を緩和するのに鍼灸は有効なのではないだろうか。  可能性があるのに、なにもできない。  退職する前に、人事部長に最後のお願いをしよう。  ボランティアで患者さんに鍼灸させてくれないかと。  お金は要らないから鍼灸やらせてほしい。  自分で鍼灸施術保険に入る。 主治医に指示に必ず従う。  たぶん駄目だろう。。 ほんとにくそったれだ。  看護助手を辞める数日前の日記だ。 今思えば鍼灸師の免許を取ってなんで看護助手をやってるのか? 自分でもバカだったなと思う。 僕...

看護助手をやってた頃の話をしようと思う。最後の方は退職日を指折り数えていた。

  当時の日記を読み返すと退職日が近くなるにつれて辞めたい辞めたいといった文字が目立つ。 ほんとは一日ごとに日記を書いているのだが辞めたい、辛いと内容は被ってるので割愛する。 よっぽど当時の自分は精神的につらかったんだなと思う。 看護師長に明日から来なくていいよって言われたら僕はやったーって喜ぶだろう。 そのくらい辛かった。 精神的にも。 当時の僕はきつく言ってくる人に対してかわす、対人スキルがなかった。 怒ることも反抗することもできなかった。 だが客観的に考えて、そんなことをしても自分の得にならないことはわかっていたし早い段階で見切りをつけた職場なので 観の前の仕事をそつなくこなし、事故のないように仕事を終わらせて退職したかった。 09月05日 今日も無事に終わった。     あと17日。   事故のないように終わらせたい。   せっかくネット開通したんだから自分のホームページを作りたい。  開業したら絶対ホームページは必要なんだし。だからいまいろいろ調べている。  他にも将来の自分にとって必要な勉強もしないと。  ほんとはもっといろいろ書きたいけれど今日はこれまで。  勉強しないと  職場の看護師の話や病院の話、転職先の鍼灸接骨院の話はまた今度かこう 確かこの時に初めてネット回線を自宅に開通したんだ。 指定のネット回線を開通することによってノートパソコンを格安に手に入れられることも非常に魅力的だった。 当時の僕は月収14万円。 何とかして収入を上げたかった。 それで以前からパソコンを使った収入に興味があった。 いわいるアフィリエイトというやつ。 それと鍼灸師の資格で独立開業をしたかった。 それならばホームページを自分で作るスキルも絶対に必要だと考えてパソコンには詳しくならないとと思ってインターネット回線の開通の契約をしたんだ。 結果的にその土地で開業することはなかったし、アフィリエイトも全然稼げなかったけど、その時パソコンの事を勉強したり、ネット環境を開通させてよかったと思う。 今は違う形で役に立っている。 あの時の判断は正しかったと思う。

看護助手をしていた頃の話 休みと退職日までを指折り数えてる。

  看護助手の仕事をしていたときの日記を読んかえすと毎日が精神的につらかったんだなと思う。 落ち込んだり悲しい気分になっているときが多かったように思う。 自分には向いてないのだと思った。 09月01日 あと一日で休みだ。  休みと退職日までを指折り数えてる。  今日はすごく暇だった。   明日も暇みたいだ。暇すぎてやることがないのも辛いが今日は平和だった。  普段忙しすぎてあんましゃべらない看護師さんとも話した。  退職日までずっとこんな日が続けばいいのに。  でもそんなことはないんだろうな。   なんでスゲー苦労して金突っ込んで三年時間掛けて鍼灸師になったのに全然関係ない看護助手なんてやってんだろ。  俺馬鹿かもしれない。。   毎日毎日、同じことの繰り返し。  仕事して看護師に気を使って訳わかんない細かいことで怒られて。  なんでこんな屈辱を味わってるんだろ。  そんな思いに襲われる。  そんな時死にたいと無意識につぶやいてしまう。  つらい。。  だから動き続けなければならない。  止まってたら負の感情が俺を殺そうとするから。  少しずつだが俺の人生はいい方向に向かってるはずだ。  そう信じて今できることをがんばる。  未来の自分のために。  たしか当時の業務は午前中が忙しさのピークで午後から緩やかになっていき、3時からやることがほとんどなくなる。 とはいっても気が抜けなくやることがないので機材を磨いたり掃除をしたりしていた。 5時終わりだから毎日2時間ぐらいそんな時間があった。 それがとても苦痛だった。 床の汚れを雑巾で拭いたり点滴台を拭いたり大体そんなことで時間をつぶしていた。 それすらもやることがなくなって仕事をしているふりみたいなことをしていた。 なんだか大の大人がやる事じゃないな。 生産性がないなこの時間は。 でもそんな場所でしか生きていけない自分は何なんだ? いままで僕は何をして生きてきたんだろう? 自分自身の人生を思い返しみじめな気分になった。 五時になると就業合図のチャイムが鳴る。 いつも暗い気持ちを抱えて帰り支度をするためにロッカー室へ向...

看護助手をやっててよかったこと

  たった三ヶ月だけど看護助手をやっててよかったなと思うことがある ひとつは学校で習った臨床例をたくさん見ることができた。 整骨院や鍼灸院に勤めていれば見ることができない患者さんたちばかりだった。 まぁそんな患者さんがきたらすぐに病院をすすめるけどね。その明確な基準ができてよかったのかな 本に書いてあることと実際にそうなってる人を初めて見たとき対応できるというものではないからね あとは、そうだな。。 僕には看護助手と看護師の仕事はできないという事と女の職場は無理だったということかな。 現在、僕は一人で自営業をやっている。 細々とだが家族で何とか食べていける。 もうあのころのように、つらい、苦しい、悲しい、というような毎日に比べれば天国だ。 もう二度とそんな職場で働くことはないと思う。 08月31日 短い勤務になったが、病院で働くということは整骨院に勤めてたら絶対できない経験ばかりだった。   また整体、鍼灸の道に戻るけれど。  それまでは精一杯がんばろう。 これが当時の日記 文章が短くなってきている。 ストレスや怒りは心に蓄積する。 体の疲れは取れとも脳が疲れていると何もできない。 このときはそんな感じだった。 今思えば看護助手時代にウマが合わない、目をつけられて怒りまくるのはいつも同じ3人だったな。 一人は看護助手の上司 50代後半のおばさん。50代にしてはいやに老けていた。小さくてうるさくて顔はしわだらけで歯が物凄く汚い。 水木しげるの漫画に出てくる妖怪のような感じ。口うるさいばぁさんと言う感じ。 あとの二人は看護師さんなんだけどひとりはものすごいデブでブス。もう一人は化け物と言う感じ。 いつもその3人に怒られていた。 あとは30人以上の看護師さんはいたがキツく怒ってくる感じの人はいなかった記憶がある。 てゆうかその三人以外に怒られた記憶がない。 注意や指導といったことはあったけど頭ごなしに怒鳴り散らしたり小言をうるさく言ってくることは一切なかった。 あの三人だけだったな。今思えば。 正直に言うと僕はその上司の事を馬鹿にしていた。つまり下に見ていたのだ。 16年、私はこの病棟で看護助手を頑張ったて来た。わたしはあなたたちと違う。看護師でさえ分からないことは私に聞く。 給料だって正社員の私はあなたたちよりもいい。 僕の悪い癖なのだが凄く...

毎日くたくたになってロッカー室に戻る 看護助手の仕事

  看護師さんにおこられたり仕事でポカしたときはロッカー室で少し泣いて帰った。 泣くとすっきりするから。 もちろんロッカー室に誰もいないことを確認してからね。 男の上司だったら同じ男だから、いつかは分かり合えることが多かった。 だけど職場はほぼ女性が占めている。 対応の仕方がまったくわからない。 この人、そのときの気分で怒ってるんだなった思えるときもなんだかあった。 一ヶ月、二ヶ月過ぎたあたりからこの職場で働き続けるのは僕には無理だなと思うようになった。 そんなときに知り合ったのがこのおじさんだった。 年は40代後半だろうか? ロッカーが隣だったのだ。 感じのいい人という印象だったが、日記に書いたとうり職場に対して激怒していた。 大の大人がこんなに怒るなんて相当理不尽な目に合わされたのかな。。? それともこの人に問題あるのだろうか。。 どちらかはわからない。だけど我が強くきつい人が多かった職場だった。 そういう人間が役職や職員上部を陣取っている。 そういう人間の攻撃をスマートにいなせる人間しかこの職場には残れないだろうなとそのとき思った記憶がある。 僕なんかはまだ転職先を探せば見つかるが年齢が高く転職しようにもできない人はそれでもこの職場にしがみつくしかないのだろうか。 怒りももちろんあるがそういった理由もあって辞めたくないとあのおじさんは言っていたのかな。。 今あのおじさんはどうしているのだろう。。

冷静になって考えると看護助手の仕事ってやばいよな

看護助手をやっていた当初は毎日張り詰めたようにピリピリしていたのだと思う。 本当にこれは無資格の看護助手の仕事なのかなって疑問に思いながらやった業務もある。 なにか事故があったら責任取れないよ。 なぜそんなにびくびくしてたのかというと看護助手は医療事故の保険を病院からかけてもらっていなかったから。(当時の話です。現在は知りません。) 医療行為をしない看護助手が保険に入る必要なんてないじゃないかという意見もあるだろう。 それはもっともな意見だ。 だけど患者さんに接していると、予想外な出来事に、遭遇するときもある。 当時の日記を読み直してみよう。 08月31日 今日も一日、無事故で仕事を終えることができた。  なにをそんなにビクビクしてるか?それは医師や看護師、PTさんや検査技師さんはみんな保険に入っている。正規職員は病院が保険に入らせてくれる。  だからもし何か事故が起きて患者さんの家族と裁判になっても保険に入ってる。仮にそういう状況になっても事故を起こした本人は病院と病院専属の弁護士が守ってくれる。  だけど看護助手は無保険だ。  仕事で患者さんを車椅子でしょっちゅう運んでいる。 中には拘束帯をしないと暴れて手にえない患者さんもいる。  高齢で痴呆もあるからほっといたら勝手にどこかへ行ってしまう患者さんもいる。 一番ヤバイのが痴呆で勝手に動いて転んで骨折しちゃう患者さん。  これは聞いた話なのだが午前中の大病院はどこも大体が患者や職員たちでごった返す。 多忙を極める中、検査をするために検査室へ患者さんを移動させた。 介助してベッドに移動させて、検査を行いますので動かないでくださいと患者さんに伝えたのにも関わらず、患者さんが動いて転んで死亡した事件があった。 でもちゃんと見てなかった、お前の責任だと裁判では負けてしまう。  では保険に入らせてもらえない俺たちは仮に事故を起こした場合どうすればいい?  何千万、何億の賠償金なんて払えないよ。   そのうえ上司の看護師長は毎朝朝礼で、事故を起こした人はその時に患者さんを担当した人の責任だから、と毎日言い続けている。  誰も起こしたくて事故をおこすわけではない。 しかし病院内の過酷な業務をこなしていたら事故がまったく起きないとは...

看護助手をしていたころ職場の人間関係で悩んでいた

  当時の日記を読み返してみるといろんなことに僕は悩んでいたんだなと思う。 同僚の看護師さんで仲良くなった人もいれば最後まで険悪な雰囲気の人もいた。 男性看護師さんとはみんな仲良くなれた。 いや、男性だったらみんな仲良かったな。 広い病院だったけど。 男性同士で言い争っている場面なんて見たことはなかった。 人間関係以外にも悩みはあった。 3年と400万ほどの金をかけて得た鍼灸師の資格とまったく関係ない職場にいること。 このままじゃいけない。自分は何をやっているのだろう。 看護助手の仕事をしてるときはずっと考えていた。 08月30日 ただ仕事してるだけなのになんでこんなにストレスたまるんだろ。  早く転職先で働きたい。  なぜあの人はあんなきつい言い方するのだろう。   今日も患者さんをレントゲン室に運んでといわれた。  俺は言われたとうり患者さんに付き添いレントゲン室に行こうとした。  車椅子でつれてって!  と後ろから言われた。  私車椅子でつれてって、ていったよねー私。といわれた。  声は静かだが明らかに穏やかではない。 言い方がカンに触ってむかつく。  いやいや。あんた、そんなことは一言も言ってなかったぞ。  それにこの患者さんは、いつも歩いて行っているから、今回は車椅子で行けと、最初から言われないとわかんない。  僕はムカついたが、表情を極力変えず、ただすみませんといった。  逆らっても何も得はないと思ったからだ。  だから言い返すことはしなかった。  ただ、心が寂しくなる。俺はいつからこんなに自信がない男になってしまったのだろう。  何を言われてもただ堪えて。。自分が悪くなくてもすみませんと謝る。  今の僕に誇りはあるのだろうか。    仮面を被って自分に嘘をつき続けるのは、もう、うんざりだ。  だけど誇りをもって自分の人生を歩いていくには必要なものがある。 その必要なものを取り戻すんだ。  時間がかかっても諦めない。必ず取り戻すんだ。   そして新しくできた夢にむかって俺は突っ走っていくんだ。  ずっと悩んでいた。  力なくうなだ...

死ぬこと 生きること 看護助手という仕事をとおして

  数年前、ぼくは看護助手として働いていた。 そのときのつづった日記を読み返してみようと思う。 ターミナル病棟に勤務していた。 いはゆる終末医療の現場だ。 そこは人が死ぬということが日常的な職場だった。 最初は戸惑いや悲しみが襲ってくる。 仲がよくなった患者さん、よくおしゃべりをした患者さんが次の日に出勤していたら亡くなっていた。 そういうことがよくあった。 でもだんだん慣れてくる。 何も感じなくなってくる。 08月29日 今日、モルヒネ10mm入りの注射器を看護師さんから手渡された。  1階の薬品室に返却してきて、と書類も一緒に手渡された。  僕は無言で受け取り薬品室の薬剤師に書類とモルヒネを手渡した。  理由はきかなくてもわかった。  患者さんが亡くなったのだ。 だからもうモルヒネは必要なくなったのだ。  ただそれだけのことなんだ。 金曜の夕方からその患者さんの病室の前に家族が集まっていた。 みんな不安そうな顔と、悲しみをこらえたなんともいえぬ表情をしていた。。  そして月曜の今日来てみたらやはり亡くなっていた。  この職場では珍しいことではない。   すごく仲が良い患者さんではないが知ってた患者さんだった。  僕はこの患者さんを何度か車椅子にのせて検査室ににはこんだ。 その時いくつか世間話をした。  ただそれだけの関係だ。  ずっと下をむいてうつむいてる人だった。  大腸がんに侵され黒ずんだ肌にやせ細った体。  腕や腹、鼻、体の至る所にチューブが入ってる人だった。  車椅子でその人を運びながら沈黙が辛くて話しかけたんだ。  今日はいい天気ですね。とか明日から雨が降るみたいですよとかさ。   自分でもなんてしょうも無いことしか聞けないのだろうと思うよ。 だってずっと入院してんだからその人にとって天気なんて関係ないだろうし  でもなんて話しかければいい?  お体調子どうですかなんて絶対きけないよ。  医者じゃないおれにだってその人がもう長くないことはわかる。  その人はずっとうつむいてた。。  浅黒くやせこけた顔がいまでも記憶に残っている。...

看護助手から看護師へステップアップ

看護師さんや病院の職員さんからよく勧誘された。 一生懸命、働いたからだろうか。。 指定の看護し学校に入学してこの病院で数年働けば学費免除という話だった。 (現在、この制度がまだあるのか僕は知りません。) それもいいかもと一瞬おもった。 看護師は収入が高く休みもしっかり取れる。昇進、ボーナス 連休しっかりある。 常にどこかの病院で求人が出ているので職に困ることがない。人間としてよっぽど問題がなければね。。 ちなみに僕の妻は元看護師です。 二十代のころは海外旅行、国内旅行にいきまくり。 高級ブランドのバックに新車の4WDの車を二台購入。 年収は700万前後。休みもたっぷりあるのでたくさん遊べたといっていた。 ストレスのたまって夜勤のある重労働な仕事だから たくさんお金を使ってしまうといっていた。 でもすぐ僕には無理だと思った。 女の職場で生きていく方法を僕は知らないから。 先に精神がつぶれると思った。 08月27日 看護師にならないか。  看護師の学校にいかないか。  職場の上司や仲いい人によく言われる。病院で手続きしてくれるみたい。  奨学金も看護師として2年働けば返さなくていいみたいだし  給料もいい。休みもたっぷり取れる。ボーナスもでかい。家賃補助に施設割引、退職金、社会保険もばっちり。  常にどこかの病院で募集かけてるから一回資格取ればく一生いっぱぐれは無いだろう。よっぽど人間として問題なければ。  でも俺にはむりだ  精神的にもタフで気がつよくないと勤まんないな。この仕事は  おれは違う。  タフでもないし繊細な人間なんだ。  看護の仕事やってる人ホント尊敬するよ  俺はできない  弱い人間なんだ。 そんな人間に看護師は勤まらない。 看護師の仕事に誇りや希望を見出す人間は必ず強くなる。 弱い人間も強くなる。 どんな形であれいずれ問題を解決するだろう。 だが僕にはできないとおもった。 だからその選択は選ばなかった。

看護助手という仕事は僕には向いてなかった。

過去の日記を見てみると僕は職場の人間関係で苦しんでいたことが思い出される。 抑圧された怒りや不満を日記にぶちまけている。 確かに今思うと強烈な人は何人かいた。 中には言い方がきつく、あきらかに理不尽な物言いをされ腹が立つこともあった。 だけど基本的に、何を言われても僕は、はい、と、すみません。 この二言しかいわなかった。 一番下っ端だし口答えしても自分に利益があるわけでもない。 特に僕に何か言ってくるのは特定の3人しかいなかった。 この3人は他人の話を聞かないタイプだ。 正確に言えば、自分より下の人間の意見を聞かないタイプの人間だ。 こういうタイプの人間に口答えをすれば火に油を注ぐことになる。 08月27日 転職先も決まってるしバックレしたいくらい仕事をやめたい。  ほんとに胃が痛くなるくらい気を使う職場だ  ほんとにやめたいし行きたくない  鍼灸はできないけれど癌患者さんや透析患者さんが多く入院しているこの病院で働けばいろいろ得るものがあるとおもって働いた。   確かに得たものはあった  三年かけて勉強したこと。 病理学や臨床医学の教科書に載ってるまんまの人が目の前にいる。  文字で学んだことが実際にこの目で見て、あの時勉強したことはこういうことだったのかと深く理解できた。。   ほんとにそういう状態になってしまうんだ、教科書に載ってないけどこんな症状が出るのかとか。。  だがもう限界だ。  職場にほんとにウマが合わない人間がいる。  僕のことが気に食わないんだろ。   ほかの人間がいるときは黙ってて二人になったときだけ罵詈雑言を言ってくる。 何言っても俺が黙ってると思ってんだな、この土かぶったサツマイモみたいな顔した女は。  ほんとは名前があるんだが俺は勝手にバケモノってあだ名つけて呼んでる。  もちろん他人にははなさない。女の職場で悪口は命取りだからね。  いつも笑顔だよ。我ながらこんな職場で笑顔が毎日作れるなんてあきれるよ。完全に仮面。  まぁ仕事だからな。俺はいつもどうり冷静に仕事の対応をするよ。  いかんな。イラついてる。  だけど一ヶ月遅れで入った後輩のおじさんは我慢できずにきれてしまっ...

看護助手 新人歓迎会の当日に退職届を出しました。

 その病院では看護助手で若い男が入ってくることは珍しい事だったみたいだ。 というか初めての事だったらしい。 大抵が主婦でパート代を稼ぎに来ている人たちだった。 パートと言っても朝8時スタートのきっかり五時終わりのフルタイム。残業なし 子供がある程度成長して、手がかからなくなった主婦の人達が多かった。 だから平均年齢も高めだ。 そんな中に若い男がぽっと入ってくるなんて珍しかったに違いない。。 結構、盛大的に会を開いてくれた気がする。 僕のために歓迎会を開いてくれてうれしいけど、その日の朝に退職届を出してるんだよな。。 もちろん他の人に言ってないし言えない。 内心、うわ~気まずいなって思っていた記憶がある。。 当時の日記にはこう書いてある。 08月24日 今日は職場で飲み会だった。  なんだろ。気を使ってあんまり楽しめなかったな。 もっと気の利いた言葉言えたんじゃないかなって後になって思う。  なんか虚しいしさみしい。  でも何事も経験  来月いっぱいで退職だし明日も事故ないようにがんばろう。 ほんとは明日にでもやめたい職場だけど。。  はやく休みが来てほしい。 書きたいこと勉強したいことがいっぱいあるのに、最近、全くできてない。  まずいサイクルだな。何とかしないと。 当時の日記には、その時の心情などを中心に書いている。 数年前の僕は、いろいろな問題を抱えすぎていた。 それを必死になって解決しようとしてたんだな。 今は、その時抱えていた問題がすべて解決しているが、当時は考え込むことが多かった。 しかし、その時の宴会のカオスっぷりを日記で全く触れてない自分がいることに驚く。 メンバーは30人くらいいたのではないだろうか? 4人ほどがお医者さんで一番偉い先生がその時の歓迎会費をすべて出してくれた。 あとは俺含め数人の看護助手の人とすべて看護師さんたち。 ほとんど女性です。 女三人寄れば姦しいとはいうがその10倍の人数がいてしかも酒が入ってるとどうなるか想像に難しくないと思う。 酔っぱらった女性の中に男が一人いるととんでもないことになる。 なんかもみくちゃにされた記憶がある。 さっきまで楽しく話していた看護師さんがいきなり目の前で吐き出す。 どんだけ飲んでるんだよ。 でも周りはみんな看護師さんだからすぐトイ...

看護助手の仕事は、雑用係です

看護助手の仕事は、雑用係です 法的には看護助手は無資格者だから、患者さんを介助するのはもちろん体を触ることも許されてはいない。 患者さんの背中をさすってあげたり、スプーンで食べさせてあげたりも業務としてならやってはならない。 といわれています。 何年、看護助手をやっていたとしても何のスキルもたまらない。 コミュニケーション能力とかは高まると思う。 女の職場だからね。 将来的に看護師免許をとるなり医療系の資格を取るための勉強、経験を積むためのバイトとして看護助手やるとか 主婦がパートタイムでお金を稼ぐならば話は分かるけど、未来を見据えて頑張らなければいけない十代、二十代の若い世代がずーっとやり続ける仕事ではないと思う。 看護助手は未来のある仕事ではない。 例えば医者を10年やって経験を積んだ。看護師を10年やって経験を積んだ。 どちらもどの病院でも即戦力になるし、知識も経験も武器になる。 給料も上がるし待遇も、経験年数によって上がる。 しかし看護助手を10年やっても基本的には何も変わらない。 給料も待遇も。転職したとしてもまた似たような環境でずっと同じことの繰り返し。 例えば看護助手として病院で働きながら、将来的に介護福祉士の資格とろう!って思われている方もいるかもしれません。 しかし残念ながらそれはできない。 看護助手は法的に無資格です。 看護助手や無資格の人は実際に病院で働いていたとしても実務経験とは認められないのです。 (まず最初にヘルパー二級などの公的な資格を取る。資格取得後、病院で看護助手で働いていた期間は、実務経験としてみなされます。) 十年間、看護助手を務めたとしても、使い走りはいつまでたっても使い走りなのだ。 僕と同時に辞めた人がいた。10年間、看護助手をやってた女性だ。 安い給料がずっと続く。働いている期間も実務経験としてみなされない。 長く看護助手を続ける意味が見つからない。 そうぼやいていたな。 そう思うなら、もっと早い段階で辞めればよかったのに。 一人の女性の10年間。。 もう二度とその時間は帰ってこない。 他の事にエネルギーを使えばよかったのではないか。。 僕はそう思った。大きなお世話か。 夕日にかげるその人の背中はどこか寂しげだった。

看護助手 コミュ力と体力ないと死にます

当時の日記  08月23日 いつまで続くかはわからないけどならべく毎日書いていこうと思う。  今日、辞表を出した。 九月いっぱいで退職がきまりそうだ。ほんとはもっと早くやめたい。  仕事は五時に終わるけど、仕事が終わると何もする気が起きない。  疲れが取れない。 自分自身が抱えてる問題を解決するには頭を抱えてじっとしてても解決はしない。  少しずつでいいから自分のために時間を使おうかな。  勉強もしばらくしてないな。  今からやろう。  以下追記 当時の日記を見ると僕も色々考え悩んでいたんだなと思う。 仕事は5時に終わるのは良いがくたくたに疲れてそのまま何も出来ずに終わることが多かった。 本当は将来に向けて勉強や調べ物をしたかったけれど。 仕事を終えて帰宅し、少し仮眠をとってから勉強しようと思ったら、そのまま朝まで寝てしまったことが何度もある。 慌ててシャワーを浴びてギリギリで職場に就く。 そんなことが何回もあった。 仕事終わりのアフター5を勉強に使おうという目論見も外れてしまった。 長い目で見て自分の人生にプラスになる、勉強や経験をし続けたかった。 でもそれも出来ない。 仕事のためだけに自分の人生を消費する。 それも辞めようって思う原因になったんだと思う。 看護助手の仕事は看護師さんの雑用だ。 しかも結構体力を使う。 業務を頼まれたら巨大な病院を、とにかく動き回る。動きつづける。 巨大な病院内を上に下に。端から端まで動き回る。速攻で汗まみれになる。 入院してる患者さんに合わせてる温度設定だから病院内は動くと汗ばむくらいの温度だ。 患者さんを車いすに介助しながら乗せて、それぞれの専門の医者の所へ時間内に送らなければならない。 と同時に別の業務も頼まれたのでそのことも考え時間配分を決めて行動する。 アレしなきゃ、これもしなきゃ。 ヤバい!今日は超忙しい~。。 そんな時によく首からぶら下げたPHSが鳴りまくる。 また新たな業務を頼まれるのだろう。 その時の優先順位を考え業務を消化しまくらないとパンクする。 とにかくきつかった記憶しかないな。 他の病院だと違うのかもしれないけれど。僕のいたところは毎日そんな感じだった。 あとは人間関係が大変だった。 良い人ばかりじゃない。 中にはきつい人もいる。...

看護助手って思ったよりもきつい仕事

当時の日記を振り返って追記 以下 08月22日 ならべく毎日、日記を書いていきたい。 毎日更新することで自分を見つめなおすイイきっかけかもしれない。  今日もほんとに疲れた。僕が思ってた以上に看護助手の仕事はきつい。  とにかく一日中でかい病院のなかを歩き回り続ける。  薬を取りにいったり患者さんを車椅子で運んだりベットを移動したり。  すべて看護師の指示の下うごきまわる。  あまりにもでかい病院なのでPHS渡されてそれがひっきりなしに鳴る感じかな。 短い時間にあれもやってこれもやってと看護師さんに言われ 同時に患者さんの介助をしつつ必死に動き回ってるうちに一日が終わる感じかな  毎日看護師さんと、患者さんの間でもみくちゃになってる。  一番つらいのが看護師さん達と接するときがつらい。  看護にプライドがあるのかもだけど私たちの仕事の縄張りに入ってくるなオーラを出してる人も中に入るんだよね。  いいことなのかもしれないけど、そういう人とは仕事しずらい。  以下追記 これを読むといろいろ思い出す。 僕の就職した病院はいわゆる総合病院タイプで、いろんな科がたくさんある巨大な病院だった。 あまりに広すぎて、最後まで、その全体は広すぎてわからなかった。 その中を、看護師さんから言われた雑用をこなすために常に動き回っている感じかな。。 言われたことは何でもやった。 朝一にベットやシーツ、患者さん用の入院着などのリネン類など、デカいワゴンに乗せて、それらが一斉に地下の巨大リネン室へ運ばれる。 退院した患者さん、亡くなった患者さんで空いたベットに新規入院患者さんをどっと入れる。 患者さんの診断書や情報の書類とか天井のレールに乗って各診察室や会計に移動する。 個別の書類や治療器具などは看護助手が歩いて指定の診療科センターに届ける。 広い病院を業務をこなすために、上から下へ、端から端まで、歩きまくりと言う感じだ。 空調は入院して寝ている患者さんを基準に設定しているので動くと汗が出来るくらい高めなのだ。 移動している間に持たされたPHSが鳴り響き、次の業務をやってと言われる。 毎日が戦場みたいな忙しさだったな。。 中には、え?それ、僕たちがやっていい仕事なのかな?って疑問に思うこともあった...

人が死ぬのが、日常の職場

数年前に看護助手という仕事をしていた。 過去の日記を見直してみると当時の自分はいろいろい考え、悩んでいたんだなと思う。 以下 08月19日 最近よく考える。  今働いてる職場はターミナルだからだ。   いつ死んでもおかしくない人たちと接している。  僕もいつか必ず死ぬ。 木のようにゆっくり朽ち果てていくのか、急に死神に命を刈り取れれるのかわからない。  いままで死について現実的に認識したこと無かった  しかしここの職場では、先週まで自分でたって歩いたりご飯食べてたり笑ってた人が、週が変わったとたん寝たきりになり週末には息を引き取っている。  徐々に心を開いてくれて仲良くなった患者さんが亡くなるのはつらい。  これが最後に吸う空気だと知ったとき、これが最後に見る景色だとわかったとき、それはどんな気分なのだろうか。  苦しいのだろうか。それとも開放された安らかな気持ちなのだろうか。  そんなことを最近考える。  以下 追記 僕が配属された科はターミナル(終末医療)病棟だった。 癌末期の患者さんがメインの病棟だった。 昨日まで生きていた人が今日は死んでいるっていうのが本当によくあった。 抗がん剤の影響なのだろうか、入院した当初は、自分で考え、喋り、食事をし、歩くことができた。 家族の話、子供の話、仕事の話。 重い病気で暗い表情の患者さんが時には笑顔で話す瞬間があった。 それがみるみる衰弱し笑顔は一切なくなる。素人の僕でさえ尋常じゃない雰囲気がわかる。 週末は元気だったのに、週明けの出勤したら、いきなり歩けなくなっている。 食事もままならない。すべて吐いてしまう。 動くこともできない。トイレに行けないのでおむつにを使う必要が出てくる。 ほんの2,3日前までは喋れた。会話もできた。でも今は違う。 ただぼうっと天井の一点を見つめている。その目は生命の光が宿っていた形跡など微塵も感じない。 ひどくよどんだ暗い目。あの目は今でも覚えている。一生忘れることはできない。 昨日生きていた人が、今日死んでいく。そしてまた新しい患者さんが入院してくる。 それの繰り返し。 今まで自分はいつか必ず死ぬという事を意識したことがなかった。 死は身近ではなかったが地続きで必ず自分とつながっているものだと認...

看護助手という仕事に就いた理由 回顧録

 僕は数年前に看護助手の仕事をしていました。 当時の日記をもとに、感じたことをありのままに書いてみる。 以下 08月18日 久しぶりに日記をかいてみる。  今は鍼灸とはまったく関係ない看護助手の仕事をしている。  まさかこんなに短期間に仕事をコロコロ変えるなんて卒業前は考えもしなかったな。  しかもその仕事は来月でおわり。すでに退職の意思は上司に伝えた。  俺が思ってた以上に鍼灸の需要はすくないのかもしれない。   本当はチーム医療の一員として、医師、看護師、検査技師、薬剤師、理学療法士、と協力して患者さんを治療したかった。  そういった職場は本当に少ない。無いに等しい。  でも諦めず勉強し続け、アンテナは常にはっていこうと思う。  大学病院系の鍼灸師募集を見逃さずキャッチしていきたい 転職先は鍼灸整骨院。また激しい肉体労働になる。 だが仕方がない 少しでも自分の鍼灸を高められる可能性がある環境に身をおきたい。 追記 日記を書いた初日にすでに退職の話が出ている。 最初から退職の話かよと、思わず数年前の自分にツッコんでしまいました。 当時僕は専門学校を卒業したばかりの新卒の鍼灸師でした。 ではなぜ看護助手に?って思われるかもしれません。 当時の僕は鍼灸師として向上出来る職場を探していました。 鍼灸治療ができる職場です。鍼灸整骨院ではメインの仕事が保険マッサージ。 それはやりたくなかった。 最終的には開業したいと考えていたので開業資金を溜めるとともに臨床経験が積める、勉強ができる職場に就職したかった。 そんな職場はありませんでした。 学校を卒業してから就職活動をしてわかったのですが、就職先としてあるのは整骨院か整体院。整骨のおまけで鍼灸をやっている鍼灸整骨院。 求められるのはマッサージ要員ですね。 それに鍼灸治療の需要が、世間にはあまり無いに等しい、という事を学校を卒業して初めて分かった。あほですね 考えてみれば当たり前なことですね。 世の中、マッサージや整体はやってほしいけど、鍼はちょっと。。って感じの人が大半です。 もともと鍼灸が出来る場所が少なかった。 鍼が打てない。臨床経験がつめない。技術が上がらない。 わずかに私立の大学病院などで、鍼灸治療を取り入れている大学もあります。 ...

看護助手やっていました

 今から数年前に看護助手というお仕事をしていました。 初勤務からちょうど三か月で辞めました。 人によると思うのですが僕にとって本当にしんどい仕事でした 看護助手は残念ながらお給料は良くない。 これだけきつくてこれだけ苦しいのに、お給料はこれだけか。 初めてお給料をもらった時に明細書を見てすごく悲しくなった記憶がある。 給料が安くても、その仕事を続けることで将来的にステップアップしていけるのならまだ頑張れたかもしれない。 だけど看護助手を10年やっても20年やっても看護助手は看護助手のままだ。 言い方が悪いかもしれないが無資格の仕事だから何の実績にもならない。 このブログに書いてあることは経験を通して得た僕の主観的な考えです。 看護助手の仕事をして、わかったことや、感じた事、考えたことを率直に書いていく。 だから看護助手という仕事を馬鹿にしたり誹謗中傷をするつもりは全くない。 看護助手さんが、病院では縁の下の力持ちみたいな存在で、無くてはならない存在だという事は働いていて凄く感じた、という事はあらかじめ書いておきます。 僕には目的があってこの職場を選んだ。 それがこの職場では絶対かなわないって分かったから辞めることにした このブログを読んでくれている人は看護助手という仕事に何かしらの興味があるんだと思う。 役に立つかどうかはわからないけれど、僕の体験したこと思ったことを当時の日記を元に、ありのまま書いていきたい。