看護助手 ターミナル 終末ケア病棟の仕事について


09月21日


先週の週末、知ってる患者さんが死んだ


病院の外に車椅子でよく散歩しにいった患者さんだ。 



病院の周りは公園になってて緑いっぱいの遊歩道がある。 



そこだけ緑の木々が日差しをさえぎってくれてさわやかで涼しいんだ。 



その患者さんを乗せた車椅子を押しながら美しい木々の間にある遊歩道を一緒に散歩したんだ。



俺のこと気に入ってくれて散歩のときよく指名してくれたんだ。 


その患者さんは食道がんだった。入院して三週間で亡くなった。 



よく話したんだ。喉が腫瘍でつぶれてほとんど声はでないが、僕たちはよくしゃべったんだ。



あの人はよくしゃべった。つぶれた喉で。 



亡くなった患者さんを思うとあの美しい景色がよみがえる。 



でももうその人はいない。 



僕の記憶の中で生きつづけている。


 

その人の家族の記憶の中で生き続けている。 



でも俺や家族が死んだらもう誰もあの人のことはわからなくなる。 



人が死んで、その人を知る家族、友人が死んだらその人のことを知るものは誰もいなくなる。



その人が生きて存在してたことが証明できなくなる。 



寂しい気持ちだ。とても。知ってる患者さんが亡くなると。 



いつか慣れるのだろうか。 









この患者さんは今でも鮮明に覚えている。



90歳の高齢男性。食道癌の摘出手術を受け、癌に侵された範囲が広かったため声帯も切除し、喋ることができない患者さんだった。



喋れないが目やしぐさで会話を図ろうとしてくれた人だった。



なんとなく僕とこの人はウマが合うというか、仲が良くなった。



車いすで病院内や敷地内の公園を車いすで散歩するのだが良く指名してくれた。



美しい緑の木がたくさんあった公園が病院の施設内にあった。



長期入院している患者さんのために造った公園なのだと思う。



公園内の緑地は大きな木がたくさん植えてありその間を通る遊歩道が整備されていた。



九月とはいえまだ残暑が残る日々だったが木々の間にある木洩れ日のあふれる遊歩道は通るだけで非常に気分が良かった。



僕はその患者さんとよくその道を一緒に散歩した。



亡くなる前日も。



少しずつ少しずつ衰弱していくのが本人にも僕にもわかっていた。



これが最後の散歩になるかもしれない。



この患者さんは喋れないがよく目で意思を伝えようとした。



この会話も最後になるかもしれない。


そう思いながら一緒に散歩した。


亡くなる前日に散歩に行ったとき、あの患者さんは僕の腕を取り指でありがとうと書いた。


あの時、僕とあの患者さんとで美しい景色や平和な気持ちを共有した事実はなくなることはない。


僕の中にあの患者さんはまだ生きている。



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