看護助手の仕事をしてた頃の話 ターミナル病棟では人の死が日常の一部
看護助手の仕事をしていた頃の話
僕はターミナル病棟に勤務していた
ターミナル医療とは余命わずかになってしまった人へ行うケアのことです。
癌で余命いくばくかの患者さん達が入院していた。
仕事の合間におしゃべりして仲良くなった患者さんたちがいる。
癌になって心細いのだ。
医師の先生や看護師さんは業務でせわしなく動いている。
そんななか、看護助手さんには患者さんからみて、話しかけやすい人間なのかもしれない
僕も午後三時以降は、ほとんどやることがなかったから、患者さんを介助して病院の廊下をお散歩とかよくやった。
気を許してくれていろいろ喋って仲良くなった患者さんもいる。
今は、その時生きていた患者さんは、もう誰も生きていない。
09月13日
退職日まであと11日。
また知ってる患者さんが死んだ。
なのにみんな平気なんだ。少しずつだが俺もなれてきた。
こうして俺も平気になってくるのだろうか。
早く鍼灸の仕事がしたいよ。
俺と同じ年齢の看護師は奥さんと子供、車に家まで持っている。
休みと給料、ボーナス、社会保険が保証されている。
鍼灸は週6で保険なしで安月給で有給なし。おまけに拘束時間は超長い。
しかも柔整の補助みたいなマッサージがメインだし。
自分らしく働きたい。
フツーの条件で働きたいよ。
愚痴が出てしまう。
普段人前では絶対話さないから。
絶対にこんな状況から俺は脱出するんだ。
このころは早く鍼灸師の仕事がしたいと思っていた。
しかし今思えば、就職口で純粋な鍼灸師の仕事をできるところなどないと言い切っても過言ではないのだ。
つまりほぼ無い。
あったとしてもそこには申し込みが殺到する。少ないパイを取り合う形になるので必然的に能力の高い者から、そういった状況をいち早く認識して早く動き出したものから採用される。
純粋に鍼灸をやっているところはあっても募集が出ていない。
そういったところは院長の治療を目当てに患者も来ているから人を雇っても結局自分でやらなければならないので意味がないのだ。
だから結局は開業してそういう仕事の場をゼロから自分で作るしかないのだ。
そんな中、男性看護師の飲み会に誘われたんだ。
僕は看護師じゃないけれどもね。
女性の看護師さんは気が強い人間が多い。ムキになって感情的になる人が多かった。
それに対して男性の看護師さんは本当に穏やかで優しい人が多く感じた。
いや男性看護師で何だこの人って思える人は一人もいなかった。
それでその飲み会に参加して(しかも飲み会代はごちそうしてくれました)けっこう当時の僕の年齢(29歳)が近い人が多かった。
みな二十代後半から三十代前半。集まった人数は30人くらいかな
僕とそんなに変わらない年齢の人達なのに話題と言ったら結婚した嫁さんの事、日々成長している自分の子供の事、新築で勝った家のローンの事、新しく買った車の事、嫁と子供といった旅行の事。
別次元の話だと思った。
そして自分が無性になさけなくなった。
僕は今まで何をやってきたんだろうか。僕とそんなに年が変わらないこの人たちは立派な堅い仕事をしている。
しかもその仕事は高収入に福利厚生がばっちりの好待遇。ボーナスもがっつり支給の、退職金も保証された安定職に就いている。
家をかって嫁さんに子供がいてとても幸せそうだった。
新しい車を買い、新築の家を買っている。たくさん旅行に行っている。
とても幸せそうだ。
ぼくにはまぶしすぎた。。
それに比べて僕は、貯金はほぼゼロ、住んでるところは家賃2万5千円のおんぼろアパート。
もちろん車など持てる財力もない。
仕事もやりがいもない。無資格で誰でもできる仕事。
しかも月14万円の低収入。結婚や子供なんて別世界の話だ。。
僕は無理やり酒を煽ってみんなと話に相槌をうった。
楽しいふりをしながら。
そのことを悟られないように。
新しく入ったぼくをみんなが歓迎してくれた。
美味しい料理や酒をたらふくおごってもらった。
食べきれず余ったごちそうをパックにしてくれて持たせてくれた。
僕は飲み会を開いてくれた皆さんにお礼をいって別れた。
飲み会の帰り道。
妙に月が明るい夜だったと記憶している。
夜道を自転車を押しながら自宅までとぼとぼ歩いて帰った。
泣きながら。
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