人が死ぬのが、日常の職場
数年前に看護助手という仕事をしていた。
過去の日記を見直してみると当時の自分はいろいろい考え、悩んでいたんだなと思う。
以下
08月19日
最近よく考える。
今働いてる職場はターミナルだからだ。
いつ死んでもおかしくない人たちと接している。
僕もいつか必ず死ぬ。
木のようにゆっくり朽ち果てていくのか、急に死神に命を刈り取れれるのかわからない。
いままで死について現実的に認識したこと無かった
しかしここの職場では、先週まで自分でたって歩いたりご飯食べてたり笑ってた人が、週が変わったとたん寝たきりになり週末には息を引き取っている。
徐々に心を開いてくれて仲良くなった患者さんが亡くなるのはつらい。
これが最後に吸う空気だと知ったとき、これが最後に見る景色だとわかったとき、それはどんな気分なのだろうか。
苦しいのだろうか。それとも開放された安らかな気持ちなのだろうか。
そんなことを最近考える。
以下 追記
僕が配属された科はターミナル(終末医療)病棟だった。
癌末期の患者さんがメインの病棟だった。
昨日まで生きていた人が今日は死んでいるっていうのが本当によくあった。
抗がん剤の影響なのだろうか、入院した当初は、自分で考え、喋り、食事をし、歩くことができた。
家族の話、子供の話、仕事の話。
重い病気で暗い表情の患者さんが時には笑顔で話す瞬間があった。
それがみるみる衰弱し笑顔は一切なくなる。素人の僕でさえ尋常じゃない雰囲気がわかる。
週末は元気だったのに、週明けの出勤したら、いきなり歩けなくなっている。
食事もままならない。すべて吐いてしまう。
動くこともできない。トイレに行けないのでおむつにを使う必要が出てくる。
ほんの2,3日前までは喋れた。会話もできた。でも今は違う。
ただぼうっと天井の一点を見つめている。その目は生命の光が宿っていた形跡など微塵も感じない。
ひどくよどんだ暗い目。あの目は今でも覚えている。一生忘れることはできない。
昨日生きていた人が、今日死んでいく。そしてまた新しい患者さんが入院してくる。
それの繰り返し。
今まで自分はいつか必ず死ぬという事を意識したことがなかった。
死は身近ではなかったが地続きで必ず自分とつながっているものだと認識した。
自分の人生が終わる最後の瞬間、人は何を思うのだろうと。
それは安らかなものなのだろうか。
僕が出会った患者さんを思い出す。
安らかなものであってほしいと願った。
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