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看護助手 最後に

09月30日 疲れたな。  本当に。  今日で最後だった。 最後の業務が終わった後、お世話になった看護師さんや病院職員の人に挨拶回りに行った。 病院の帰り道、いつものコースを通って帰った。 夕日がとてもきれいだった。 もうこの場所で夕日を見ることもないだろうなと思ったら、少し寂しい気持ちになった。 仲が良かった人は最後まで仲が良かったけれど、仲が悪かった人は最後まで仲が悪かった。 残念だ。 まぁ仕方ない。 明日から転職先の鍼灸整骨院で働くことになる。 わずかな時間だがしっかり休んで明日に備えよう。 とにかく疲れた。 これが看護助手をやっていた頃の最後の日記になります。 辞めるとはいえ最後の最後まで仕事は全力投球。仕事に対して絶対に手を抜くことはなかった。 以前の記事にも書いたけど、僕が勤務している病棟に、入院している患者さんはもしかしたら明日、亡くなってもおかしくない患者さん達だった。 だから最後に対応した僕が手抜きの僕だったら申し訳ないから。 言われたこと、頼まれたことは率先してテキパキ頑張った。 本心は早く辞めたかったけれどね。。 これで、僕が看護助手として体験したことは全部、書きました。 なので、このブログはこの記事を最後に更新されることは、もうないでしょう。 このサイトに訪れたあなたは、何かしら看護助手と言う仕事に興味があるんだと思う。 看護助手に興味がある人に僕の体験談は役に立っただろうか? 鍼灸師の国家資格を取得して、最初の職場が看護助手で、しかも3か月程度で辞めた人間の体験談なんて特殊すぎて参考にならなかったかもしれない。 チーム医療の一員を夢見て、鍼灸師として病院で働きたいと思った。 東洋医学の知識と治療技術で患者さんを治療したかった。 しかしそんな職場は無かった。 だったら看護助手として病院に入り、明るく真面目に仕事をこなせばいずれは、そういった仕事に声がかかるかもしれない。 元国会議員の杉村 太蔵氏みたいに。 彼はバイトの掃除夫からスタートした。 仕事場は証券会社の入ったビル。 彼は一生懸命、真面目に誠実に仕事をした。 その真面目な働きぶりとコミュニケーション能力を証券会社の外国人ディーラーに気に入られそのまま、そこの外資系証券会社に入社。 バリバリの証券マンに出世していく。 僕もそう風に鍼灸師として病院のチーム医療の輪に入りた...

看護助手 転職前の日記

 09月25日 一番つらい。 休みがないから 土日やすみだったけど土日から転職先で働き出すから今週は休みが一日もないんだよね。  自分らしく働きたいよ。  転職先で働きながら自分で開業できる方法を探し続けよう。  あと5日。  もうばっくれようかな。あと5日でも行きたくないとこには一日だって行きたくない。  今の職場はつらい。 いきたくない。  精神的にほんとうに不安定になる。 いろいろ。。逃げたい。 でもいくんだけどね。くそ真面目な俺だから。  追記 本心は、今すぐにでも辞めたかったし退職したかったんだと思う。。 だけど最後の最後まで誠実に真面目に業務をこなしました。 なぜなら入院している患者さんは明日には亡くなってしまうかもしれない。 最後に対応した僕が手抜きの僕なら申し訳ないから。 退職の瞬間まで全力投球。 手を抜くことは一切なかった。 あの時、僕が出会った患者さん達は、もう誰も生きてないだろう。 時々、ふとあの患者さんたちを思い出すことがある。 ちょっと寂しいような、何とも言えない気持ちになるよ。

看護助手は病棟の歯車

  看護助手を、辞めると決めたら、一秒でもこの職場に居たくなかった。 この日記は看護助手を退職する五日前の日記だ。 日記を読み返していると、とにかく早く辞めたかったんだなと思う。 自分の将来を考えて自分に得にならないと判断したから辞めたかったんだと思う。 仕事をすることで得るものがないと、その仕事を続ける意味がないと僕は考えている。 例えば、何も得ることのない単調な仕事を5年続ける。 その仕事をすることで勉強になったり、技術が磨かれたりする仕事を5年する。 同じ5年間で得る経験値はもちろん後者の方がたくさんあるし、その後の人生設計に大きく関わってくる。 看護助手は病院内の小さな歯車みたいなものだ。 無くてはならないもの。 でもその歯車は、正直、誰でもいいんだ。 壊れたら簡単に換えられる。 僕はそんな歯車で居続けることに我慢が出来なかった。

看護助手 ターミナル 終末ケア病棟の仕事について

09月21日 先週の週末、知ってる患者さんが死んだ 病院の外に車椅子でよく散歩しにいった患者さんだ。  病院の周りは公園になってて緑いっぱいの遊歩道がある。  そこだけ緑の木々が日差しをさえぎってくれてさわやかで涼しいんだ。  その患者さんを乗せた車椅子を押しながら美しい木々の間にある遊歩道を一緒に散歩したんだ。 俺のこと気に入ってくれて散歩のときよく指名してくれたんだ。  その患者さんは食道がんだった。入院して三週間で亡くなった。  よく話したんだ。喉が腫瘍でつぶれてほとんど声はでないが、僕たちはよくしゃべったんだ。 あの人はよくしゃべった。つぶれた喉で。  亡くなった患者さんを思うとあの美しい景色がよみがえる。  でももうその人はいない。  僕の記憶の中で生きつづけている。   その人の家族の記憶の中で生き続けている。  でも俺や家族が死んだらもう誰もあの人のことはわからなくなる。  人が死んで、その人を知る家族、友人が死んだらその人のことを知るものは誰もいなくなる。 その人が生きて存在してたことが証明できなくなる。  寂しい気持ちだ。とても。知ってる患者さんが亡くなると。  いつか慣れるのだろうか。  この患者さんは今でも鮮明に覚えている。 90歳の高齢男性。食道癌の摘出手術を受け、癌に侵された範囲が広かったため声帯も切除し、喋ることができない患者さんだった。 喋れないが目やしぐさで会話を図ろうとしてくれた人だった。 なんとなく僕とこの人はウマが合うというか、仲が良くなった。 車いすで病院内や敷地内の公園を車いすで散歩するのだが良く指名してくれた。 美しい緑の木がたくさんあった公園が病院の施設内にあった。 長期入院している患者さんのために造った公園なのだと思う。 公園内の緑地は大きな木がたくさん植えてありその間を通る遊歩道が整備されていた。 九月とはいえまだ残暑が残る日々だったが木々の間にある木洩れ日のあふれる遊歩道は通るだけで非常に気分が良かった。 僕はその患者さんとよくその道を一緒に散歩した。 亡くなる前日も。 少しずつ少しずつ衰弱していくのが本人にも僕にもわかっていた。 これが最後の散歩になるかもしれない。 この患者さ...

鍼灸放浪記 臨床積める職場をさがして彷徨っていた

 09月19日 何とか自作ホームページをネット上にアップロードできた。  僕の初めてのホームページ。  知識ゼロ、経験なし。アップするのにすんごい時間と体力つかったよ。  でもアップしただけだし更新して俺のサイトを充実させたい。  まだ開店準備中だが日記やコンテンツを更新して俺という人間を知ってもらいたい。  その中でお客さんが出てきてくれたらうれしいな。  鍼灸ボランティアがやりたい。  病院に鍼灸師として雇ってもらえない。 また鍼灸師として臨床を詰める。 そういった職場がない。 あるのは整体か整骨院だけ。 とてもじゃないが鍼灸師として臨床は積めない。 知識も積めない。 やりたくないマッサージ業がメインだ。 なら探し続けるしかないな。 僕は諦めが悪いのだ。  金なんて要らない。 鍼灸させてもらえる病院を探すためにもホームページが必要なんだ。  明日も仕事は憂鬱だが、あと8日。  がんばれ自分! この頃の自分はなんとか鍼灸師として臨床経験を積みレベルアップしたかったんだと思う。 学校を卒業する前は就職でこんなに苦労するとは夢にも思わなかった。 鍼灸師として臨床を詰める職場が無い。 あるといったら整体か整骨院でのマッサージ要員だ。 ならば自分で何とかしようと思い出張専門で鍼灸治療をしたらどうだろうかと思った? 仕事は週末が休みだったので、地域密着の出張専門鍼灸院のホームページを自作してネット上で公開したのだ。 その後、僕は看護助手を辞めた後に鍼灸整骨院に就職した。 その地域で10年以上、治療院を経営しており院長が鍼灸治療が上手だと評判だった。 そこで働けば、そこで得た経験はきっと役に立つだろうと思いそこで3年ほど働いた。 結局分かったことは、鍼灸師でご飯を食べていくのは非常に難しいという事。 鍼灸で家族が食べている収入が得られれば大成功だという事。 それでも鍼灸師をやりたいならテナント代のかからない持ち家の治療院兼自宅で、何年もコツコツ真面目に、土地に根づいて営業をしていくこと。 自分で開業して自分の責任で治療をやるしかないという事だ。 追記 数年後 自分で開業して鍼灸院をやっていました。

看護女子をやっていた頃の話 何もできない自分

  09月14日 今日、患者さんをレントゲン室に運んだ。車椅子で。    いつものことだ。ずっと咳をして辛そうだ。体は汗でびっしょり。 苦しそうに咳をしている。抗がん剤のせいか頭髪はない。   髪は女の命という。  病気も辛いが副作用で頭髪がなくなるなんてさぞ辛いだろう。  ほんとに。傍にいてつらい。 心が不安定になる。  まってるあいだずっと咳をしていた。苦しそうだ。  咳止めの身柱というツボあたりをさすってあげた。  首の付け根あたりだ。 すこしでもよくなってくよと願いながら。 そしたらさすってくれたら少し楽になってきたと患者さんが言ってくれた。  こんな人の力になりたい。そのために鍼灸の資格をとった。  でもできない。  治すことはできないが症状を緩和することはできるのではないだろうか。  別の患者さんの話。  こんな俺にいつも優しくしてくれた患者さんが看護師さんにむかって怒鳴ってるのをみた。  その看護師さんは何もわるくない。  やさしいその患者さんを変えてしまった病気を俺は心底憎んだ。  その目は優しかった頃の面影はない。この世の苦しみという苦しみをすべて背負い込み暗く澱んだ瞳に変わってしまった。 その瞳の色は怒りに染まっていた。  今になって涙がでてくる。  これはなんの涙だ? 自分でもわからない。  すこしだけ知り合った人でお世話させてもらった人が亡くなって行く。 それだけのことなんだ。  職場の看護師さんも家に帰って泣いてるのだろうか?  追記 当時の僕はターミナル病棟に勤務していた。 この日記に書かれている2人の患者さんは二人とも亡くなっている。 一人は僕が看護助手の仕事を退職する2日前に亡くなった。 もう一人は退職当日の朝だ。 あの当時、僕がお世話をさせてもらった患者さんはもう誰も生きていないだろう。 生きていて死ぬという事に対しピンとこなかった。 だが毎日のように患者さんの死に対面すると 自分もいつかは死ぬのだ。 必ず死ぬのだ。 死は別世界の話じゃない。 すべて地続きで僕に繋がっているんだという事を実感したんだ。 いやでも実感させられた。

看護助手の仕事をしてた頃の話 ターミナル病棟では人の死が日常の一部

  看護助手の仕事をしていた頃の話 僕はターミナル病棟に勤務していた ターミナル医療とは余命わずかになってしまった人へ行うケアのことです。 癌で余命いくばくかの患者さん達が入院していた。 仕事の合間におしゃべりして仲良くなった患者さんたちがいる。 癌になって心細いのだ。 医師の先生や看護師さんは業務でせわしなく動いている。 そんななか、看護助手さんには患者さんからみて、話しかけやすい人間なのかもしれない 僕も午後三時以降は、ほとんどやることがなかったから、患者さんを介助して病院の廊下をお散歩とかよくやった。 気を許してくれていろいろ喋って仲良くなった患者さんもいる。 今は、その時生きていた患者さんは、もう誰も生きていない。 09月13日 退職日まであと11日。  また知ってる患者さんが死んだ。  なのにみんな平気なんだ。少しずつだが俺もなれてきた。  こうして俺も平気になってくるのだろうか。  早く鍼灸の仕事がしたいよ。  俺と同じ年齢の看護師は奥さんと子供、車に家まで持っている。  休みと給料、ボーナス、社会保険が保証されている。  鍼灸は週6で保険なしで安月給で有給なし。おまけに拘束時間は超長い。  しかも柔整の補助みたいなマッサージがメインだし。  自分らしく働きたい。  フツーの条件で働きたいよ。  愚痴が出てしまう。  普段人前では絶対話さないから。  絶対にこんな状況から俺は脱出するんだ。  このころは早く鍼灸師の仕事がしたいと思っていた。 しかし今思えば、就職口で純粋な鍼灸師の仕事をできるところなどないと言い切っても過言ではないのだ。 つまりほぼ無い。 あったとしてもそこには申し込みが殺到する。少ないパイを取り合う形になるので必然的に能力の高い者から、そういった状況をいち早く認識して早く動き出したものから採用される。 純粋に鍼灸をやっているところはあっても募集が出ていない。 そういったところは院長の治療を目当てに患者も来ているから人を雇っても結局自分でやらなければならないので意味がないのだ。 だから結局は開業してそういう仕事の場をゼロから自分で作るしかないのだ。 そんな中、男性看護師の飲み会に誘われたんだ。...